2009年12月29日火曜日

季節感のない食生活

スーパーに行くと正月らしい食料品が並んでいる。

しかし、その傍らには「旬を忘れた」野菜もたくさん並んでいる。

1年中なんでも食べられる旬がない食生活。

そのためにかなりの石油資源を消費していると聞く。

正月くらいは季節感のある食材で御節料理でも作って食べたらと思うが、多くの人は完成品をスーパーや百貨店で買うのだろう。

余談だが、御節料理は弁当のおかずの代表作とも言える。

ウィキペディアによれば、御節料理は、「一つ一つの料理は、火を通したり干したり、あるいは酢に漬けたり味を濃くするなど、日持ちする物が多い。これは、火の神である荒神を怒らせないため、正月に台所で火を使うことを避けるという平安時代後期からの風習により、正月には台所仕事をしないからである。実際には、女性を正月位は休ませるためという意味合いもある。」とのこと。

冷めて美味しく、味がしっかり、汁ものは無い、となればこれは弁当のおかずの基本形でもある。

弁当のおかずというと残り物だったり、余りものを使ったりと、やや肩身が狭い印象があるが、御節料理と同じと考えれば、日常作る弁当のおかずも、きちんとした作り置きのおかずとしてグレードアップするのではないだろうか。

しかも旬の食材を使えば、文句なし。

「火の神である荒神を怒らせ」てもいいから、正月くらいは台所で旬の手作り料理はどうだろうか。


2009年12月20日日曜日

マイケル・ジャクソンvsダンサーズ

久しぶりにマイケル・ジャクソン(MJ)の映像を観た。

ロンドン公演に向けてリハーサルしているプライベート映像が、MJ急逝により世に出た映画だ。

相変わらずMJはスリムだが、バックダンサー達にはマッチョが多い。

MJのダンスはバックダンサーに引けを取らないし、しなやかな動きを見せている。

聞くところでは、MJは菜食主義だという。たんぱく質は豆類で摂っているのだろうか。

映像を観ながらバックダンサー達やバックミュージシャン達は何を食べているのだろう?と考えてしまった。

MJ以外は皆、色々な意味で「たくましい」のだ。

MJはバックの人達よりもよく動き歌うのだが、とても元気でエネルギッシュだ。

さすが、King of POP!

菜食主義だからこそ無駄のない身体をつくり、維持できるのかも知れない。

私事だが、この1年で15キロほど減量した(糖尿病治療のための食事療法の結果)。

15キロと言えば、3キロの米5袋分だ。

それだけ身体が軽くなれば腰への負担も軽くなり、今、腰痛は無い。

適正体重が一番良い、というのを実感している。

しかし、現代食を何も考えずに食べている人達には、無理な相談だろう。
 

2009年12月13日日曜日

簡単なダイエットはない!

最近、スポーツジムに通っている。

昼間利用の会員なので午後行くことが多いが、利用者の多くが高齢者というか中年層なにの驚く。

しかも、立派なメタボ体型の人が多い。

ストレッチをしながら隣のご婦人を観察する機会によく恵まれるのだが、その様子を見ていていつも思うことがある。

それは、「運動で痩せる気なの?」という疑問だ。

自分は2009年の1月に糖尿病を宣告されると同時に、一日の摂取カロリーを1600kcalにするよう指示された。

その日から早速実行したものの、当初は一日の平均摂取カロリーが1850kcalだった。

それでも気が付いたら脂肪がとれ、体重が下がり、胴回りが細くなるという事態に直面した。

最初、自分では分からなかったのだが、管理栄養士さんの「首回りが細くなった」という指摘ではじめて、自分が痩せていくことに気づいた。

糖尿病を宣告されるまで、医師からはとにかく痩せることが先決ですと言われ、頑張りますと答えるというやりとりが数年続いていた。

自分では食事の量を減らすとか、それなりに気を付けたつもりだったが、効果は皆無。

それが糖尿病宣告と同時に始めた食事療法で、あっと言う間に痩せてしまったのだ。

ちなみに、糖尿病宣告時(1月20日)の体重は76.2kg、この原稿を書いている12月13日は61.2kg。

この経験から分かったことは、ダイエットは簡単だということだ。

しかし、いまダイエットしたい人達の多くは、日常の「食べる」ことには切り込まずに、運動あるいは特別なサプリや代替食品で痩せようとしてる。

運動は基礎代謝を上げたり、循環器系を強くしたりと、肉体の衰えを抑える効果はあるだろうが、ダイエットとしての直接の効果はないだろうと思う。

やはり、食事との組み合わせで考えるべきだ。

身体に蓄積するエネルギーは、摂取カロリー>消費カロリー の結果増えるものだから、そのバランスを考えればいいだけだ。

プロのアスリートを見れば分かるように、「食」もしっかり管理しているから競技に見合った身体を維持できる。

運動だけで痩せるような簡単な話はない。

目で食べずに頭で食べない限り、「食」から健康は生まれない。
 

 

2009年12月5日土曜日

料理のススメ

ウソか本当か、最近の子どもの中には、魚というものが切り身の形だと思っている子もいるらしい。
本当だったら恐ろしいことだ。

それだけ食材の元の姿を見る機会が少なくなり、加工品が蔓延しているということなのだろう。

先日NHKの番組が、ニューヨークではある料理教室が流行っていると伝えていた。

映像には、ソーセージ作りを肉の解体からやっているところを映し出していた。

さすが、空前の金融危機を引き起こしたアメリカ、料理教室もスケールが大きいと感心してしまった。

この例はややスケールが大きすぎるが、素材を良く知るという意味では重要な示唆に富んでいる。

野菜は泥付きのものを素手で触り、魚は自分でハラワタを取り出し三枚に下ろす、そんな作業をしてから調理するという経験を通して、食材の元々の姿を知ることができる。

そして、食糧・食文化の何たるかが理解できるだろう。

そうすれば、食べること、食べられることのありがたさが身に染みて分かるだろう。

そのためには、老若男女、どんどん包丁を握り台所に立つべきだ。


2009年11月29日日曜日

可笑しな駅弁 ~駅弁が駅弁でなくっている~

駅弁とは、その駅特有のお弁当として、あるいは周辺地域の特産品的なお弁当として、駅で買うのが楽しみな食文化のひとつだと思っている。

しかし最近の首都圏では、地方(全国)の駅弁が買える。

しかも、販売者が売れ筋の駅弁を地方の業者と共同開発して、首都圏で売ると言う珍現象までおきている。

そこに行かなければ買えない、食べられないという駅弁だからこそ、旅情もあるし、情緒もある、というものだ。

首都圏にいて全国の駅弁が食べられたら、駅弁を楽しみ旅行に行く人が減るのでは、というのは杞憂なのか。

作られる数も限定され、地元の農産品や生鮮品を使ったお弁当だから意味があり、楽しみがある。

流通が高度化し、保存料などの添加物が使われ、全国の駅弁が首都圏に集められ、日常的に販売されていく姿は、残したい(大切にしたい)食文化を崩壊させるだけだと思うのだが。

流通の進化がもたらす食文化の変質は、まだまだある。嗚呼!

2009年11月22日日曜日

記憶の中の味

誰にでも、記憶に残る味があると思う。

臭いや香りでも、記憶の中に仕舞われているものがあるように、味にもあるはずだ。

ある臭いを嗅いだ瞬間、蘇る記憶があるように、口にした食べ物の味で、思い出す何かがある。

味について言えば、「お袋の味」がある。

子どもの頃、家族団らんの中で食べた日常の何気ない料理の味だ。

子どもだから好き嫌いは当然ある。

母親は、嫌いなものを食べさせようとする反面、好きなものも積極的に作ってくれる。

そんな母親の愛情を、大人になってから時折口にする味から感じることがあるものだ。

しかし、昨今の家庭の食卓事情からみると、そんな「記憶の中の味」が、自分のような昭和20年代生まれの人間と同じようにあるのだろうか、という疑問が沸く。

自分が子どもの頃は外食もなく、出来あいの惣菜もなく、料理はすべて素材から調理していた。

だから「お袋の味」が成立するのだが、加工品や半加工品、出前が幅を利かせる現代では、そんな「お袋の味」が介入する余地すらないのでは、と危惧する。

いまの子ども達が大人になった時、ふと思い出す味がファストフードや化学調味料の味では情けない。

「お袋の味」は料理の味だけではなく、台所に立つ母親の後ろ姿でもあり、家族団らんの風景でもある。

そんな時間を共有するのは、それほど難しいことではないはずだ。


2009年11月13日金曜日

「アナログ料理」と「デジタル料理」

書店に行くと、料理本の種類の多さに驚かされる。

普通のレシピー本(雑誌を含む)だけでなく、有名な料理人の本、生活習慣病対策の料理本、安く出来ることを売りにしてる本、早くできることを売りにしてる本、まさに百花繚乱である。

そして、どの本にも共通していることがある。

それは、材料の分量や調理時間の目安が詳細に書かれていることだ。

何gであるか、大さじいくつであるか、何分煮詰めるか等々、まるで化学の実験のごときだ。

筆者はこのような細かいレシピーを見ると、正直料理する気が失せる。

性格にもよるのだろうが、材料や調味料に使いたくないものもあり、どうしても自分流でやりたくなる。

それに、台所で料理本を見ながら調理するのも手際が悪くなり落ち着かない。

最近ではこの手の料理本による料理を「デジタル料理」と呼ぶことにしている。

では、その対極にあるべき「アナログ料理」とは何か?
料理とは、調理(煮る・焼く・蒸す等々)や調味(さしすせそ)の基本を覚えれば、あとは旬の材料を使ったり、彩や栄養を考えたりして、自分で工夫して創るものだと考えている。

したがって、自分の裁量で思うがままに創る料理を「アナログ料理」と呼んでいる。

どちらが楽しいかは言うまでもない。
 

2009年11月6日金曜日

食品添加物は必要か?

AF2という食品添加物があった。

ウイキペディアによれば、「元々は主にボツリヌス菌に対する殺菌能力を持つ防腐剤として1965年に厚生省が認可。(略)製造元の上野製薬では「トフロン」の商品名で豆腐用の防腐剤として販売していたほか、魚肉ソーセージ等の製造の際に添加物として利用されていた」というものだが、海外では発がん性があるということで使われていなかった。

しかし、その後、マスコミや研究者の間でこのAF2の危険性が明らかにされ、1974年に食品添加物としての認可が取り消され、以後添加物としての使用は禁止された。

そもそも、厚生省が当初AF2を認可した際の根拠とした安全性試験のデータは、大阪大学医学部で行われたとされたが、実態は上野製薬側が行った実験のデータであったことも判明したいう。

まさに産学官の癒着構造だが、その結果、消費者は9年もの間、危険な食品添加物を食べさせられていたことになる。
普通に生活していると、年間4―5キロほどの食品添加物を食べるらしいが、本当に必要なものなのか、大いに疑問を感じる。
食品添加物を使わずに加工品を製造しているメーカーもある。
現在では東京ミッドタウンにも店を出している平田牧場(山形県)は、(飼料米を食べている)三元豚・金華豚で有名だが、この会社が作るソーセージやハムには、余計な食品添加物は入っていない。
なぜなら平田牧場が新しい形の養豚や加工品で成功した背景に、食品の生産や管理にうるさい生活クラブ生協があるからだ。
先日、テレビ東京の某番組に平田牧場の会長が出ていた。
生活クラブからの要請で添加物無しのソーセージやハムを開発した際の苦労話が出たが、失敗の連続にもかかわらず、生協側は根気強く開発が成功するのを待っていたそうだ。
消費者が安全なものを本心から望めば、生産者は応えるという実例だろう。
身の回りの加工品には呪文のような名称の食品添加物が含まれているが、これは流通の発達とは無縁ではない。
一見、生活には利便性があるかのように見える多種多様の食品流通だが、どこまで必要なのか、一度考え直した方がいい時期に来ているのではないか。
地産地消というが、なにも農産物など生鮮品だけの話ではない。加工品にも当てはまる。
昔、味噌や醤油は計り売りが普通だった。必要な量だけを買えた時代があった。

売る側の論理に立つ食品流通ではなく、消費者の側に立った流通があってもいいのではないか。

加工品を買う前に成分表を見て、売る側の論理が押し付けられていることを知るべきだ。

2009年11月1日日曜日

無知なる生活習慣病「者」 ~患者にもなれない人達~

生活習慣病という言葉は、メタボリックシンドロームと並んで耳にしない日がないくらい、日々の生活に溶け込んでいる。

一口に生活習慣病といっても、その中身は様々だ。

ウィキペディアによれば、「糖尿病(1型糖尿病を除く)・脂質異常症(家族性脂質異常症を除く])・高血圧・高尿酸血症など、生活習慣が発症原因に深く関与していると考えられている疾患の総称である」とある。

この場合の生活習慣には当然のことながら食生活が含まれる、というより一番大きな比重を占めてるといえるだろう。

武田薬品という製薬メーカーがあるが、同社が扱う糖尿病患者向けの薬に関するビデオを制作した際、台本の中に、医師と営業のやり取りがあるロールプレイで次のようなことを言わせている。


営業:すると、まず食事療法の徹底ですね!?

医師:そうだね、お酒と脂っこいものを控えて、腹八分目。大まかにいえば一昔前の日本人の生活かな。

武田薬品は、糖尿病患者向け処方薬の製薬メーカーでは大手であり、国内外でかなりの売上があると聞いている。

その製薬会社が「一昔前の日本人の生活」といっているところが面白い。

国が進める「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」の各論の中に、「生活習慣病及びその原因となる生活習慣等の課題について、9分野(栄養・食生活、身体活動と運動、休養・こころの健康づくり、たばこ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、がん)ごとの2010年度を目途とした「基本方針」、「現状と目標」、「対策」などを掲載」という表記がある。

その中で、生活習慣に起因する病気の改善には、食生活の見直しが必要だと言うことも述べられている。

国も、医療関係者も、生活習慣病の改善には何が大切で、何をすべきかを知っている。

しかし、肝心の生活習慣病当事者の意識が低すぎて、話にならない、というのが現状ではないだろうか。

筆者は2009年1月に糖尿病と診断された後、半年ほどは武田薬品の薬の世話になっていたが、薬の処方と同時に始めた食事療法で食生活を大幅に改善し、カロリー管理をした食事を続けることで、いまでは健常者の数値を維持している。

医師や栄養士さんによれば、普通は糖尿病と診断されてもまともに治療に取り組む患者は少ないそうだ。

国民の4人に1人は糖尿病と言われている。

確かに、自分が糖尿病になってから周辺に聞くと、その程度の比率で糖尿病と診断されいる人や予備軍がいることが分かった。

しかし、治療をしているという人は皆無だった。

筆者は合併症が怖い、恐ろしいというイメージがあったので、宣告された時は心底「ヤバイ」と思い、その日から食事療法に取り組んだ。

お陰で、奇跡的な(予想外の)ダイエットも成し遂げ、メタボも解消し非常に健康的な日々を送っている。

その経験から見て、患者にもなれない無知なる生活習慣病者がいかに多いかと、実感している。

その遠因には、やはり現代の食生活に大きな問題が潜んでいると思えてならない。

それは食に関連する企業(営利)との兼ね合い(バランス)に関係してくる問題だ。



2009年10月24日土曜日

高齢者と惣菜

スーパーではかなり以前から、小口の惣菜が売られている。

量は一人分、気にしなければ他の器に移し変える必要もないような容器に入っていて、中身は家庭的な惣菜が多い。

一人暮らしの人や料理が面倒になってきた高齢者には都合が良いようだ。

それはそれでニーズがあるから商売としては成り立つだろう。

最近では、コンビニも高齢者向けの商品を揃え始めている。

先日テレビを見ていたら、コンビニの商品開発者が、コンビニの惣菜は買ってそのまま器に盛れば、さも自分で作ったように見えるので活用してほしい旨の話をし、商品を自慢していた。

確かにマーケットとしてはこれから有望かもしれないが、多くの高齢者がこのような小口の惣菜を望んでいるのだろうか?

最近新聞に載った記事に、「東京ガス都市生活研究所が高齢者を対象に昨年夏から今年1月にかけて行った調査によると、65~84歳の女性の9割が『毎日の食事を自分で作りたい』と思っている」というものがあった。

意外に多い数字なので驚いたが、一方で、高齢になれば物忘れや体力の衰えなどから、普通に料理することは難しくなってくるだろう。火を使うことも要注意事項となる。

筆者がお世話になっている会計士さんの家族は、ご母堂と2世帯同居で暮らしている。

食事の時間帯など生活のリズムが合わないため、ご母堂は個食だそうだ。

火の回りが心配なので宅配の弁当をとっているそうだが、なかなか気に入ったサービスがなく、頻繁に業者を変えているのだという。

このように高齢者に対する「食」のサービスを見ると、高齢者の中には自分で料理したいと思っている人がかなりいるにもかかわらず、高齢者は何もできないから売っているものを黙って食べろと言わんばかりのサービスしかないように思える。

売る側にしてみれば手間要らずで便利だろうと主張するだろう。

しかし、食材からきちんと料理しなくても、少しは手間をかけて食事を自分で用意して食べるというプロセスは、簡単で手抜きでもいいから、必要ではないだろうか。

少しでも手間を必要とするような商品があれば、高齢者にとっても一人暮らしの人間にも選択肢が増えて良いような気がするが。

手間要らずの行き過ぎた便利さは要注意、人間を怠け者にするだけだ。

わずかな手間でもそこに工夫があれば、人間らしい生活になり、頭も使い、心身には良いはずだ。
ついでに言えば、充分体も動き自分で料理できる人間が、出来合いの惣菜を買うなどというのは、余程の事情がない限りもってのほかだ。

コンビニ的な食生活を送っていると、いずれ「食文化」のような言葉が死語になる時代がやって来るかもしれない。


2009年10月15日木曜日

マクドナルドの高収益が教える危険なシグナル

マクドナルドの高収益が大きなニュースになった。

これだけを見ると、ユニクロと同様にいまの経済不況の中にあって、勝ち組の代表格で素晴らしいことのようにも見えるが、その裏には食生活の根源にかかわる大きな問題が横たわっているという「陰」も見えてくる。

安い材料を国際的にかつ安定的に調達して低価格を実現し、高収益を上げること自体非難するつもりはない。

デフレスパイラルなどという問題は、ここでは論じない。

問題は、このような食品に人が群がり食していることにある。

アメリカの低所得者層は頻繁にファストフードを利用しているようだが、それは食費に使える経済力が弱いからだ。

そして低所得者ほど不健康な生活を送っているように見えるが、それは摂取する食品の栄養やカロリーなどに問題(偏り)があるからではないか。

結果として、低所得者ほど肥満が多いような印象を受けるのは気のせいだろうか。
日本でマクドナルドが空前の高収益をあげるということは、それだけ売れているからだが、なぜ売れるかといえば、価格を下げているからに他ならない。

ある医者が、面白いことを言っていた。

ファストフードの食品には脂質が多く使われているが、これは一種の麻薬みたいなもので、また食べたくなるものだ。また日本人の脂質摂取量の増加カーブは糖尿病患者の増加カーブと同じような軌跡をたどっている。というものだった。

そう言えば外食の弁当などに、揚げ物はお約束事のように必ずと言っていいほど入っている。

脂質を利用して味を濃くし、しっかり食べたような気にさせる仕組みなのだろうか。

マクドナルドの味も同様に思える。

件の医師によれば、現代の子供の多くは小さいうちからこの手の脂質を摂取しているので、脳がしっかりとその味を記憶しているらしい。

そうすると、摂取を止めたくてもなかなか止められないと言う。

余談だが、筆者は昭和29年生まれだが、当然小さい頃はお袋の味で育っているので脳が記憶している味の基本形は和食である。

(もっとも成長期は化学調味料が出始めの時で、味の素を食べると頭が良くなると言う宣伝が巷に蔓延していたため、世のお母さんたちは、子供に味の素をたくさん食べさせていた、そんな時代だった。その影響もあるので決して健康とはいえない様な気がしている。それにしても、味の素食べて頭良くなった人いたんですかね?)

そこで見えてくるものは、マクドナルドの戦略が、低価格で誘い、味覚を支配してリピーターに仕立てるという構図だ。

そうなると悪の連鎖が始まる。

経済不況で収入減
↓↓↓
食費の削減
↓↓↓
低価格の外食利用促進
↓↓↓
戦略的な味付けに支配される
↓↓↓
外食を止められなくなる

といった悪循環だ。

経済的な「貧困」が食生活の「貧困」を生み、そのサイクルが始まる。

経済的な面をいうのであれば、食材を自分で買って自炊する方がはるかに経済的で安心なものが食べられる。

工夫すればお弁当も簡単に作れる。

もっとも手間がかかるので時間に制約がある場合は致し方ないが、それを理由に自分で料理することを避けていては、ますます食生活の「貧困」を助長することになる。

経済的に「貧困」であるなら、せめて食事のスタイルは「豊かに」したいものだ。

筆者も若い頃はマクドナルドも食べていたが、いま食べたいとは思わない。

現代の子が高齢者になったとき、マクドナルドを欲するのか否か、興味がある。

そういえば、最近会った医者や大手製薬メーカーの人間が異口同音に、日本人の食生活が一昔前に戻れば健康になれる、といった内容のことを言っていた。

国は健康増進を国民に呼びかけ、企業や医療関係者は努力をし、国民は相変わらず不健康な食生活を送り、医療費が増大し、儲けるのは製薬会社(最近ではまともな医者は儲かってないようです。儲かるのは医療機器メーカーと製薬メーカーです)、その儲けとなるお金(保険料)を国民がせっせと納める、という構図が美しいですかね。