2009年11月22日日曜日

記憶の中の味

誰にでも、記憶に残る味があると思う。

臭いや香りでも、記憶の中に仕舞われているものがあるように、味にもあるはずだ。

ある臭いを嗅いだ瞬間、蘇る記憶があるように、口にした食べ物の味で、思い出す何かがある。

味について言えば、「お袋の味」がある。

子どもの頃、家族団らんの中で食べた日常の何気ない料理の味だ。

子どもだから好き嫌いは当然ある。

母親は、嫌いなものを食べさせようとする反面、好きなものも積極的に作ってくれる。

そんな母親の愛情を、大人になってから時折口にする味から感じることがあるものだ。

しかし、昨今の家庭の食卓事情からみると、そんな「記憶の中の味」が、自分のような昭和20年代生まれの人間と同じようにあるのだろうか、という疑問が沸く。

自分が子どもの頃は外食もなく、出来あいの惣菜もなく、料理はすべて素材から調理していた。

だから「お袋の味」が成立するのだが、加工品や半加工品、出前が幅を利かせる現代では、そんな「お袋の味」が介入する余地すらないのでは、と危惧する。

いまの子ども達が大人になった時、ふと思い出す味がファストフードや化学調味料の味では情けない。

「お袋の味」は料理の味だけではなく、台所に立つ母親の後ろ姿でもあり、家族団らんの風景でもある。

そんな時間を共有するのは、それほど難しいことではないはずだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿