駅弁とは、その駅特有のお弁当として、あるいは周辺地域の特産品的なお弁当として、駅で買うのが楽しみな食文化のひとつだと思っている。
しかし最近の首都圏では、地方(全国)の駅弁が買える。
しかも、販売者が売れ筋の駅弁を地方の業者と共同開発して、首都圏で売ると言う珍現象までおきている。
そこに行かなければ買えない、食べられないという駅弁だからこそ、旅情もあるし、情緒もある、というものだ。
首都圏にいて全国の駅弁が食べられたら、駅弁を楽しみ旅行に行く人が減るのでは、というのは杞憂なのか。
作られる数も限定され、地元の農産品や生鮮品を使ったお弁当だから意味があり、楽しみがある。
流通が高度化し、保存料などの添加物が使われ、全国の駅弁が首都圏に集められ、日常的に販売されていく姿は、残したい(大切にしたい)食文化を崩壊させるだけだと思うのだが。
流通の進化がもたらす食文化の変質は、まだまだある。嗚呼!
2009年11月29日日曜日
2009年11月22日日曜日
記憶の中の味
誰にでも、記憶に残る味があると思う。
臭いや香りでも、記憶の中に仕舞われているものがあるように、味にもあるはずだ。
ある臭いを嗅いだ瞬間、蘇る記憶があるように、口にした食べ物の味で、思い出す何かがある。
味について言えば、「お袋の味」がある。
子どもの頃、家族団らんの中で食べた日常の何気ない料理の味だ。
子どもだから好き嫌いは当然ある。
母親は、嫌いなものを食べさせようとする反面、好きなものも積極的に作ってくれる。
そんな母親の愛情を、大人になってから時折口にする味から感じることがあるものだ。
しかし、昨今の家庭の食卓事情からみると、そんな「記憶の中の味」が、自分のような昭和20年代生まれの人間と同じようにあるのだろうか、という疑問が沸く。
自分が子どもの頃は外食もなく、出来あいの惣菜もなく、料理はすべて素材から調理していた。
だから「お袋の味」が成立するのだが、加工品や半加工品、出前が幅を利かせる現代では、そんな「お袋の味」が介入する余地すらないのでは、と危惧する。
いまの子ども達が大人になった時、ふと思い出す味がファストフードや化学調味料の味では情けない。
「お袋の味」は料理の味だけではなく、台所に立つ母親の後ろ姿でもあり、家族団らんの風景でもある。
そんな時間を共有するのは、それほど難しいことではないはずだ。
臭いや香りでも、記憶の中に仕舞われているものがあるように、味にもあるはずだ。
ある臭いを嗅いだ瞬間、蘇る記憶があるように、口にした食べ物の味で、思い出す何かがある。
味について言えば、「お袋の味」がある。
子どもの頃、家族団らんの中で食べた日常の何気ない料理の味だ。
子どもだから好き嫌いは当然ある。
母親は、嫌いなものを食べさせようとする反面、好きなものも積極的に作ってくれる。
そんな母親の愛情を、大人になってから時折口にする味から感じることがあるものだ。
しかし、昨今の家庭の食卓事情からみると、そんな「記憶の中の味」が、自分のような昭和20年代生まれの人間と同じようにあるのだろうか、という疑問が沸く。
自分が子どもの頃は外食もなく、出来あいの惣菜もなく、料理はすべて素材から調理していた。
だから「お袋の味」が成立するのだが、加工品や半加工品、出前が幅を利かせる現代では、そんな「お袋の味」が介入する余地すらないのでは、と危惧する。
いまの子ども達が大人になった時、ふと思い出す味がファストフードや化学調味料の味では情けない。
「お袋の味」は料理の味だけではなく、台所に立つ母親の後ろ姿でもあり、家族団らんの風景でもある。
そんな時間を共有するのは、それほど難しいことではないはずだ。
2009年11月13日金曜日
「アナログ料理」と「デジタル料理」
書店に行くと、料理本の種類の多さに驚かされる。
普通のレシピー本(雑誌を含む)だけでなく、有名な料理人の本、生活習慣病対策の料理本、安く出来ることを売りにしてる本、早くできることを売りにしてる本、まさに百花繚乱である。
そして、どの本にも共通していることがある。
それは、材料の分量や調理時間の目安が詳細に書かれていることだ。
何gであるか、大さじいくつであるか、何分煮詰めるか等々、まるで化学の実験のごときだ。
筆者はこのような細かいレシピーを見ると、正直料理する気が失せる。
性格にもよるのだろうが、材料や調味料に使いたくないものもあり、どうしても自分流でやりたくなる。
それに、台所で料理本を見ながら調理するのも手際が悪くなり落ち着かない。
最近ではこの手の料理本による料理を「デジタル料理」と呼ぶことにしている。
では、その対極にあるべき「アナログ料理」とは何か?
料理とは、調理(煮る・焼く・蒸す等々)や調味(さしすせそ)の基本を覚えれば、あとは旬の材料を使ったり、彩や栄養を考えたりして、自分で工夫して創るものだと考えている。
したがって、自分の裁量で思うがままに創る料理を「アナログ料理」と呼んでいる。
どちらが楽しいかは言うまでもない。
普通のレシピー本(雑誌を含む)だけでなく、有名な料理人の本、生活習慣病対策の料理本、安く出来ることを売りにしてる本、早くできることを売りにしてる本、まさに百花繚乱である。
そして、どの本にも共通していることがある。
それは、材料の分量や調理時間の目安が詳細に書かれていることだ。
何gであるか、大さじいくつであるか、何分煮詰めるか等々、まるで化学の実験のごときだ。
筆者はこのような細かいレシピーを見ると、正直料理する気が失せる。
性格にもよるのだろうが、材料や調味料に使いたくないものもあり、どうしても自分流でやりたくなる。
それに、台所で料理本を見ながら調理するのも手際が悪くなり落ち着かない。
最近ではこの手の料理本による料理を「デジタル料理」と呼ぶことにしている。
では、その対極にあるべき「アナログ料理」とは何か?
料理とは、調理(煮る・焼く・蒸す等々)や調味(さしすせそ)の基本を覚えれば、あとは旬の材料を使ったり、彩や栄養を考えたりして、自分で工夫して創るものだと考えている。
したがって、自分の裁量で思うがままに創る料理を「アナログ料理」と呼んでいる。
どちらが楽しいかは言うまでもない。
2009年11月6日金曜日
食品添加物は必要か?
AF2という食品添加物があった。
ウイキペディアによれば、「元々は主にボツリヌス菌に対する殺菌能力を持つ防腐剤として1965年に厚生省が認可。(略)製造元の上野製薬では「トフロン」の商品名で豆腐用の防腐剤として販売していたほか、魚肉ソーセージ等の製造の際に添加物として利用されていた」というものだが、海外では発がん性があるということで使われていなかった。
しかし、その後、マスコミや研究者の間でこのAF2の危険性が明らかにされ、1974年に食品添加物としての認可が取り消され、以後添加物としての使用は禁止された。
そもそも、厚生省が当初AF2を認可した際の根拠とした安全性試験のデータは、大阪大学医学部で行われたとされたが、実態は上野製薬側が行った実験のデータであったことも判明したいう。
まさに産学官の癒着構造だが、その結果、消費者は9年もの間、危険な食品添加物を食べさせられていたことになる。
普通に生活していると、年間4―5キロほどの食品添加物を食べるらしいが、本当に必要なものなのか、大いに疑問を感じる。
食品添加物を使わずに加工品を製造しているメーカーもある。
現在では東京ミッドタウンにも店を出している平田牧場(山形県)は、(飼料米を食べている)三元豚・金華豚で有名だが、この会社が作るソーセージやハムには、余計な食品添加物は入っていない。
なぜなら平田牧場が新しい形の養豚や加工品で成功した背景に、食品の生産や管理にうるさい生活クラブ生協があるからだ。
先日、テレビ東京の某番組に平田牧場の会長が出ていた。
生活クラブからの要請で添加物無しのソーセージやハムを開発した際の苦労話が出たが、失敗の連続にもかかわらず、生協側は根気強く開発が成功するのを待っていたそうだ。
消費者が安全なものを本心から望めば、生産者は応えるという実例だろう。
身の回りの加工品には呪文のような名称の食品添加物が含まれているが、これは流通の発達とは無縁ではない。
一見、生活には利便性があるかのように見える多種多様の食品流通だが、どこまで必要なのか、一度考え直した方がいい時期に来ているのではないか。
地産地消というが、なにも農産物など生鮮品だけの話ではない。加工品にも当てはまる。
昔、味噌や醤油は計り売りが普通だった。必要な量だけを買えた時代があった。
売る側の論理に立つ食品流通ではなく、消費者の側に立った流通があってもいいのではないか。
加工品を買う前に成分表を見て、売る側の論理が押し付けられていることを知るべきだ。
ウイキペディアによれば、「元々は主にボツリヌス菌に対する殺菌能力を持つ防腐剤として1965年に厚生省が認可。(略)製造元の上野製薬では「トフロン」の商品名で豆腐用の防腐剤として販売していたほか、魚肉ソーセージ等の製造の際に添加物として利用されていた」というものだが、海外では発がん性があるということで使われていなかった。
しかし、その後、マスコミや研究者の間でこのAF2の危険性が明らかにされ、1974年に食品添加物としての認可が取り消され、以後添加物としての使用は禁止された。
そもそも、厚生省が当初AF2を認可した際の根拠とした安全性試験のデータは、大阪大学医学部で行われたとされたが、実態は上野製薬側が行った実験のデータであったことも判明したいう。
まさに産学官の癒着構造だが、その結果、消費者は9年もの間、危険な食品添加物を食べさせられていたことになる。
普通に生活していると、年間4―5キロほどの食品添加物を食べるらしいが、本当に必要なものなのか、大いに疑問を感じる。
食品添加物を使わずに加工品を製造しているメーカーもある。
現在では東京ミッドタウンにも店を出している平田牧場(山形県)は、(飼料米を食べている)三元豚・金華豚で有名だが、この会社が作るソーセージやハムには、余計な食品添加物は入っていない。
なぜなら平田牧場が新しい形の養豚や加工品で成功した背景に、食品の生産や管理にうるさい生活クラブ生協があるからだ。
先日、テレビ東京の某番組に平田牧場の会長が出ていた。
生活クラブからの要請で添加物無しのソーセージやハムを開発した際の苦労話が出たが、失敗の連続にもかかわらず、生協側は根気強く開発が成功するのを待っていたそうだ。
消費者が安全なものを本心から望めば、生産者は応えるという実例だろう。
身の回りの加工品には呪文のような名称の食品添加物が含まれているが、これは流通の発達とは無縁ではない。
一見、生活には利便性があるかのように見える多種多様の食品流通だが、どこまで必要なのか、一度考え直した方がいい時期に来ているのではないか。
地産地消というが、なにも農産物など生鮮品だけの話ではない。加工品にも当てはまる。
昔、味噌や醤油は計り売りが普通だった。必要な量だけを買えた時代があった。
売る側の論理に立つ食品流通ではなく、消費者の側に立った流通があってもいいのではないか。
加工品を買う前に成分表を見て、売る側の論理が押し付けられていることを知るべきだ。
2009年11月1日日曜日
無知なる生活習慣病「者」 ~患者にもなれない人達~
生活習慣病という言葉は、メタボリックシンドロームと並んで耳にしない日がないくらい、日々の生活に溶け込んでいる。
一口に生活習慣病といっても、その中身は様々だ。
ウィキペディアによれば、「糖尿病(1型糖尿病を除く)・脂質異常症(家族性脂質異常症を除く])・高血圧・高尿酸血症など、生活習慣が発症原因に深く関与していると考えられている疾患の総称である」とある。
この場合の生活習慣には当然のことながら食生活が含まれる、というより一番大きな比重を占めてるといえるだろう。
武田薬品という製薬メーカーがあるが、同社が扱う糖尿病患者向けの薬に関するビデオを制作した際、台本の中に、医師と営業のやり取りがあるロールプレイで次のようなことを言わせている。
営業:すると、まず食事療法の徹底ですね!?
医師:そうだね、お酒と脂っこいものを控えて、腹八分目。大まかにいえば一昔前の日本人の生活かな。
武田薬品は、糖尿病患者向け処方薬の製薬メーカーでは大手であり、国内外でかなりの売上があると聞いている。
その製薬会社が「一昔前の日本人の生活」といっているところが面白い。
国が進める「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」の各論の中に、「生活習慣病及びその原因となる生活習慣等の課題について、9分野(栄養・食生活、身体活動と運動、休養・こころの健康づくり、たばこ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、がん)ごとの2010年度を目途とした「基本方針」、「現状と目標」、「対策」などを掲載」という表記がある。
その中で、生活習慣に起因する病気の改善には、食生活の見直しが必要だと言うことも述べられている。
国も、医療関係者も、生活習慣病の改善には何が大切で、何をすべきかを知っている。
しかし、肝心の生活習慣病当事者の意識が低すぎて、話にならない、というのが現状ではないだろうか。
筆者は2009年1月に糖尿病と診断された後、半年ほどは武田薬品の薬の世話になっていたが、薬の処方と同時に始めた食事療法で食生活を大幅に改善し、カロリー管理をした食事を続けることで、いまでは健常者の数値を維持している。
医師や栄養士さんによれば、普通は糖尿病と診断されてもまともに治療に取り組む患者は少ないそうだ。
国民の4人に1人は糖尿病と言われている。
確かに、自分が糖尿病になってから周辺に聞くと、その程度の比率で糖尿病と診断されいる人や予備軍がいることが分かった。
しかし、治療をしているという人は皆無だった。
筆者は合併症が怖い、恐ろしいというイメージがあったので、宣告された時は心底「ヤバイ」と思い、その日から食事療法に取り組んだ。
お陰で、奇跡的な(予想外の)ダイエットも成し遂げ、メタボも解消し非常に健康的な日々を送っている。
その経験から見て、患者にもなれない無知なる生活習慣病者がいかに多いかと、実感している。
その遠因には、やはり現代の食生活に大きな問題が潜んでいると思えてならない。
それは食に関連する企業(営利)との兼ね合い(バランス)に関係してくる問題だ。
一口に生活習慣病といっても、その中身は様々だ。
ウィキペディアによれば、「糖尿病(1型糖尿病を除く)・脂質異常症(家族性脂質異常症を除く])・高血圧・高尿酸血症など、生活習慣が発症原因に深く関与していると考えられている疾患の総称である」とある。
この場合の生活習慣には当然のことながら食生活が含まれる、というより一番大きな比重を占めてるといえるだろう。
武田薬品という製薬メーカーがあるが、同社が扱う糖尿病患者向けの薬に関するビデオを制作した際、台本の中に、医師と営業のやり取りがあるロールプレイで次のようなことを言わせている。
営業:すると、まず食事療法の徹底ですね!?
医師:そうだね、お酒と脂っこいものを控えて、腹八分目。大まかにいえば一昔前の日本人の生活かな。
武田薬品は、糖尿病患者向け処方薬の製薬メーカーでは大手であり、国内外でかなりの売上があると聞いている。
その製薬会社が「一昔前の日本人の生活」といっているところが面白い。
国が進める「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」の各論の中に、「生活習慣病及びその原因となる生活習慣等の課題について、9分野(栄養・食生活、身体活動と運動、休養・こころの健康づくり、たばこ、アルコール、歯の健康、糖尿病、循環器病、がん)ごとの2010年度を目途とした「基本方針」、「現状と目標」、「対策」などを掲載」という表記がある。
その中で、生活習慣に起因する病気の改善には、食生活の見直しが必要だと言うことも述べられている。
国も、医療関係者も、生活習慣病の改善には何が大切で、何をすべきかを知っている。
しかし、肝心の生活習慣病当事者の意識が低すぎて、話にならない、というのが現状ではないだろうか。
筆者は2009年1月に糖尿病と診断された後、半年ほどは武田薬品の薬の世話になっていたが、薬の処方と同時に始めた食事療法で食生活を大幅に改善し、カロリー管理をした食事を続けることで、いまでは健常者の数値を維持している。
医師や栄養士さんによれば、普通は糖尿病と診断されてもまともに治療に取り組む患者は少ないそうだ。
国民の4人に1人は糖尿病と言われている。
確かに、自分が糖尿病になってから周辺に聞くと、その程度の比率で糖尿病と診断されいる人や予備軍がいることが分かった。
しかし、治療をしているという人は皆無だった。
筆者は合併症が怖い、恐ろしいというイメージがあったので、宣告された時は心底「ヤバイ」と思い、その日から食事療法に取り組んだ。
お陰で、奇跡的な(予想外の)ダイエットも成し遂げ、メタボも解消し非常に健康的な日々を送っている。
その経験から見て、患者にもなれない無知なる生活習慣病者がいかに多いかと、実感している。
その遠因には、やはり現代の食生活に大きな問題が潜んでいると思えてならない。
それは食に関連する企業(営利)との兼ね合い(バランス)に関係してくる問題だ。
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