2010年2月28日日曜日

無駄にして欲しくない

先日、クライアントと仕事の打合せで湯河原のJAに行った。

クライアントが湯河原で運営している宿泊施設で柑橘類を販売するための打合せだった。

湯河原では1年を通じて柑橘類が楽しめる。

そろそろ温州みかんは終わりだが、その後にはゴールデンオレンジ(※)、湘南ゴールド(神奈川県が開発したミカンで、ゴールデンオレンジと温州みかんの掛け合わせ)、甘夏柑、伊予柑、ネーブルなどがでてくる。

※ゴールデンオレンジも生産量が少ないミカンで、伊豆から根府川にかけての地域でしか手に入らない。

あるミカン農家から聞いた話では、温暖化の影響か、いまは神奈川あたりの気候がミカン栽培には適しているらしい。

そんな地元の特産品を地元の宿泊施設で積極的に販売しようという企画のための打合せだった。

その席上、JAのセンター長が言った言葉が気になった。

「農家が丹精こめて作ったものだから、無駄にして欲しくない」

これは売れないのに無理して仕入れて、腐らせるようなことはしないでくれ、という文脈で出てきた言葉だった。

センター長自身も農家で、ミカンを栽培をしているようだった。

まさに、生産者の言葉だ。

食材は小売の現場に出てくると単なる商品に過ぎないが、生鮮品は命ある食材だから、ありがたく頂くという気持ちを忘れてはならない。

弁当庵
 

2010年2月21日日曜日

認知症予防と料理

先日テレビを見ていたら、ある病院の先生が、認知症を予防するいくつかの日常的な行動というのを紹介していた。

10数項目あったような気がするが、その中で興味を惹いたのが「料理をする」という項目だった。

その先生は、料理はクリエイティブな行動だから脳を刺激して認知症になるのを防ぐというのだ。

確かに「料理」という行動はとてもクリエイティブなことだと思う。

クリエイティブであるが故に、ゼロから創作するのが難しく、人のレシピーを頼りにする。

だから数多の料理本が発行され、料理に関するインターネットサイトも人気があるのだろう。

自分でゼロから考えて料理すると言うのはかなり難しいものだ。

何か雛形があって、それを自分なりにカスタマイズするというのでさえ、難しい作業だ。

しかし、それだけに、イメージしたものが料理されて器に盛られ、食べて美味しかったら、これほど嬉しいことはない。

料理をあまりせずに、出来あいの惣菜やインスタント食品、外食等で多くの「食事」を済ますのはモッタイナイことだ。
素人でもクリエイティブなことが楽しめ、ある意味「アーティスト」気取りになれる「料理」にもっともっと取り組むべきと思う。

定型や定番、基本はあっても、それにこだわらずに料理するのも面白いものだ。
失敗しても、どうせ責任をとって食べるのは自分だから。
怖いものはない。

弁当庵
 

2010年2月13日土曜日

「インスタント」という悪魔の囁き

インスタント食品というものがいつ頃作られたのか知らないが、現代の食生活には不可欠な存在となっている。



そもそもインスタント食品というものの定義はあるのだろうか?



何をもってインスタントというのか。



ウィキペディアには、「インスタント食品とは、簡単かつ短時間の調理で食べられるように加工され、かつ保存性を持たせた食品。「即席食品」とも言う。」とある。



また、「乾燥した穀物を加熱して作るはったい粉や、加熱した穀物性食品を乾燥して作る糒は、インスタント食品の走りともいうべきものである。他にも湯を加えるだけで食べられる食品としては葛湯や蕎麦掻きなども古くから存在する。」とある。



保存性を持たせた食品という意味では、人間の知恵を感じるし、その必要性も理解できる。



しかし、化学調味料や添加物が入り、食べることが習慣化するようなインスタント食品はなるべく避けたいものだ。



「インスタント食品」が便利なのは分かるが、日常化すると大切なものを忘れてしまう気がする。



例えば出汁をとるような場合、昆布やカツオ節から簡単に取れるにもかかわらず、粉末や顆粒状のものを使うようになると、料理の楽しさ、面白さ、創造性が欠如した日常になってしまい、無意識のうちに、「食」というものを本質から考えることをしなくなってしまうような気がする。



人間、楽な方がいいに決まっているが、料理するときは、可能な限り最低限の手間をかける習慣は持っていたいものだ。



悪魔の囁きとの戦いが続く。

弁当庵
 

2010年2月7日日曜日

伝統回帰

不祥事が続く相撲界では、貴乃花が新しい理事に就任し改革が期待されている。

改革と言うより、伝統を持つ本来の相撲界への回帰という印象だ。

なぜ相撲界がここまで堕落したのか、門外漢の自分には皆目分からないが、常識的にみて、自浄能力が欠落した滅茶苦茶な業界なのは確かだ。

伝統という言葉は使うものの、保身のために都合よく使っているに過ぎないのは明らかだ。


「伝統」とは何だろうか?

ある伝統芸能の世界での話だと記憶しているが、伝統とは「守 破 離」だという。

ネットで調べると「道」が付く世界では当たり前の考え方のようだ。

相撲も相撲道だと言われるが、果たしてこの「守 破 離」があったのだろうか?

単なる利益目的業界でしかないような気がする。


さて、この「守 破 離」を現代の食生活に当てはめてみよう。

当然、食にも伝統はある。

その伝統は日常の食生活の中に生きているのだろうか? と、ふと考えてしまう。

御節や七草など節目節目で伝統的な食習慣は残っているが、その意味するところが理解され、日常的なものになっているのか疑問だ。

生活があまりに便利な方向にシフトする中、手間のかかることは敬遠される。

伝統とは手間のかかるものなのだ。

実態とは別に形式が重んじられるから、何事も「携帯」的になりつつある現代では、一部の人のものだけかもしれない。

相撲と同じで、伝統をないがしろにすると、大きなしっぺ返しが待っている。

弁当庵